聞き手:フクシマ環境未来基地
事務局長 荻野 友香里
社長:おじいちゃんは炭をやっていたんだけど、親父の代には炭の仕事がなくなっていっちゃった。それでチップ材を、坑木をやったんだよ。常磐炭鉱に坑木を入れてた。でも、その常磐炭鉱もなくなっちゃったから、今度三菱製紙っていうところにチップ材を入れてた。
昭和30年40年はね、拡大造林って言って、切って植えて切って植えてやってたから。その切った広葉樹を買ってそれを仕事にしてた。それで、まだ私が帰ってきた昭和44年はそういう広葉樹を国有林が売ってたから買って、それをチップ工場に納めて、でまた植え付けをやっていた。
その頃は地元の人もいっぱいいたからこういう今うちがやってる仕事も、地域の人が請け負ってやっていた。そんな状況だったんだけど、まあ2、3人でやってる仕事をだんだん手伝ってるうちに。あんまり考えもなかったのかな、まあ楽だったのかな、山行って木切って帰ってくればいいんだから(笑)。4、5年はあっという間に過ぎて、まあ5年くらい同じようなことやってたんだよ。
荻野:商店もやりながらですか?
社長:そう、店もやりながら山もやってた。3人くらいでやってて私も一緒に行ってて。まあ5、6年は何となく。そのころ仕事は一山一山だから、一山終われば次の仕事あるかな、くらいだった。当然だから会社でも何でもない。まあそんな感じでもずっと繫がっていったんだよね、途切れなくて。
そのうち広葉樹じゃなくて杉の間伐に内容が変わっていった。杉の間伐がだんだんだんだん多くなって、その時にやっぱり多少はいろいろ考えて。嫁さんもらった時にいろいろ考えて、その日暮らしじゃだめだなって、製材工場をやろうと、事務所の前にある工場をつくったんだ。昭和63年ごろ、ちょうど10年くらいたってから。
ところがなかなか製材工場やってもあんまり上手くいかなくてさ。製材工場やるよりは山で働いてた方が金になるっていうのが分かって、それで工場はやめちゃってまた山で働くようになった。それから4、5年くらい働いてからかな。
荻野:その間ずっと間伐の仕事をされてたんですか?
社長:うん、間伐を。国有林の間伐とか民有林の間伐とか仕事量がどんどん増えていって、だから最初3人でやってたのが3人で出来なくて4人、4人で出来なくて5人と毎年一人ずつくらい増えていった(笑)。
それで平成13、4年頃からだんだん増えていって15年くらいにはもう10何人くらい。昭和の終わり頃は、営林署には国有林の山で働く人がいたんだけどその人たちが辞めちゃって、効率が悪いからと営林署で雇わなくなって、その分がうちに来るようになった。そのまま国有林の仕事が請け負えるような状況になって現在に至るわけ。だから平成10年くらいから今まで15,6年、まああんまり特別良いこともないけど特別悪いこともない。まあどっちかと言ったらまあ良い方でしょうね。
でもその頃からもう自分は現場に出なくなっちゃったからな、自分としてはあんまり良いか悪いか分からない(笑)。平成20年に協同組合を作ったんだ。常磐林業協同組合作って私は副理事長ということで、ずっと事務所でのがメインになっちゃったから。平成20年にきちっと作って、組合からも仕事をもらえるようになった。
荻野:(有)平子商店の社長になったのはいつですか?
社長:平成4年か5年かな。まあ最初作るときから自分で作ってたんだけど、親父はあんまり関係なかったから。でも何となく会社を作った時にとりあえず親父を社長にということで。まあそれなりに儲かったから親父に税金取られる前に退職金をあげて辞めてもらおうと思ってやったんだけど、残念ながら却下されて(笑)税務署に。あんまり大した給料も取ってない社長にこんなに退職金はあげられないと。
荻野:間伐以外のお仕事もあるんですか?
社長:広葉樹の木を切ってチップ工場に運ぶっていう仕事をしてた時と、現在の国有林の仕事を請け負えるようになるまでの間っていうのは、間伐を定期的にやって、製材工場にチャレンジをしたり、鉄塔屋さんの下請けをやったり試行錯誤してた。あと土木建設の仕事も一応ね、今でもそうだけど建設業の許可を取って市の側溝を作る仕事をやったんだよ、その頃は仕事がまだ安定してなかったから。
今は国有林の仕事がこの位あるっていうのが大体分かるから、会社になってるんだけど、その頃はこの山終わったら次どうしようかなっていう状況だったから。仕事ないからとりあえずその辺の山行って、みたいな時期もあった。たぶん結婚したのがこの時期で、その前まではまだ親父が元気だったから親父に使われてるみたいな雰囲気で、いつ逃げて遊ぼうかなみたいな(笑)、そのくらいの感じだった。自分でどうしようっていうのがないからね、雨降って仕事なかったら良かったな~パチンコでも行こうかなみたいなそういう。
でまあ結婚しようと思うとやっぱりそれなりに収入を得ないとだめだなと、黙ってたんじゃだめだと、その頃親父もちょっと具合悪くなってね。それであんまりあてにできなくなったのもあって自分で色々考えるようになって、まあ国有林の仕事を。協同組合に入ったんだけどさ、入ると仕事をもらえるっていうから。
今考えればその自分が林業でごはんを食べようと思った時に、社会的に仕事が国有林なんかもあるにも関わらず、仕事をする人をきってきた、という流れに上手く乗ったという感じ。だから今でも思うんだけど、皆車で町に働きに行くのに、俺だけ山の方に向かっていくのは寂しかった覚えがある。何で皆山から下に行くのに俺だけ山に行かなきゃいけないんだって。
まあでも逆に言うとそういう風にずっとやっていて仕事がどんどん増えていった。今うちの土地になってるところなんかも、昔国有林で働く人の宿舎だって2、30件家があってそれで皆山に仕事に行ってたんだ。でもそれがどんどんいなくなって、俺しかやる人がいなくなったんだ、だって皆町に仕事に行くんだもんね。
荻野:社長さんが考える林業の魅力とは?
社長:この仕事は地球の空気を作る仕事。単純な仕事じゃなくて、木を切ることによって地球の環境がどうなるかっていう、すごい意味のある仕事なんだって、昔は半分冗談で言ってて、そういう風になるとはあまり思わなかったんだけど、まあ何となくそういうイメージに近づいた。温暖化や地球環境のためにも、この仕事で食べていけるような仕組みと価値観を築いていきたいと思う。
今までの林業は良い木を作る事だったんだよ、そのために一番良い時に植えて、一番いい時に下刈りをして、一番いい時に枝打ちをして、で良い木を作るために除伐をして間伐をして手入れをするっていう、良いものを目指してたんだけど、その良い木が今一番安いんだよね。だから今までは建築材としての木材だったけど、これからはもっと違う意味で、まあ地球環境の為とか、あと木材の用途としても、例えば燃料にもなるし、カーボンの材料にもなるとかいろいろあるから、そういう川下の方が広がっていけばもっともっとよくなる産業じゃないかなと私は思う。
まあ働いてる人の所得がなるべく高くなるように、他の職業だったら息子を大学に入れられるのにみたいなことはなくしたい。
まあ価値観を決めるっていうのはうちらばっかりじゃなくてやっぱり川下の人たちの考え方にもよると思う。例えばスウェーデンの人はガスとか灯油の方が安いけれども、ちょっと高くても地球環境の為に薪ストーブを使う、そういうことを考えるような人が増えればもっと木材の価値が上がる。だからそういうことも提言しながら。木材産業はもっと重要な位置になっていくんじゃないかな。
ドイツはかなりの自動車産業国だけど、木材に関わってる人の方がはるかに多い。今のところ木材っていうのは先進国でしか産業になり得ないというイメージがあるから、日本ももしかしたらもう少し経てばそういう道を歩みだすのかなと思う。特に今、その当時植えた木が蓄積がすごいからこれをいかに利用するかというのがある。まあ落ちることはないと思うんだよね、産業として、伸びることはあっても。
それでその中で木を切って育てるっていういわゆる素材生産、造林っていううちのメインの仕事は職人の仕事だから、多分もっともっと能率が良くなるし安全にもなるから、仕事としては悪い仕事じゃないんじゃないかなと。あと女性がもっと働けるような現場になるんじゃないかなと。今日も県の人で女性の方が来てて、現場でデモンストレーションをしたんだけど、機械も結構簡単に使えてた。まあ今の私の立場からすると、安定的な仕事を切れ間なく取ってくるということ、でおかげさまで今のところ切れ間なく、というよりはちょっと忙しすぎるくらい(笑)
荻野:震災があって変わったことはありますか?
社長:震災から変わったよ。震災の前はね、若い人もいっぱいいて働く人もいっぱいいて、20人以上いた、今は14、5人だから。5、6人減っちゃったんだけど、新しい人も増えない。
本当はもっともっと頑張ってこの辺の震災後の復興のために、そしてその復興のために森林の作業も元に戻さなきゃいけないんだけどなかなかね、山で働く人っていうのが少なくて。全国的に言うと増えているんだけどね。まあ放射能関係ないんだけど今のレベルで言うと。
やっぱり仕事がないから山で働くんじゃなくって、うちの作業員も言ってたように山で働く魅力っていうものを感じて働ける人、まあお金だけじゃない、プラスαみたいな。
チームで働いてるとまあ長期休暇を取ったりも出来るから、1ヶ月くらい休みとってホッテムトッドに会いにアフリカに行く人とか友達の結婚式と合わせて1週間くらい休みとったりとか。まあいっぱいそういう人がいる、チームや会社の中で理解を得られればお互い様だから、そうやって自分のライフワークも充実できるという利点もある。
仕事自体はキツイ、まあキツイって言っても70歳のおじいちゃんも出来る仕事だし機械は女性でも出来る仕事だから、まあ今5年10年やってる作業員はキツイとは言わないと思う。
荻野:若者への期待は何かありますか?
社長:まだまだ林業後進国で作業方法とかまだまだ確立されていない、そういう意味ではまだまだこれから。今やってる素材生産とか植え付けとか下刈りとかも色々新しい方法を探していってほしい。あと安定的な収入を得るというのもあくまでも自分の技術だと思うのでその技術を身に着けてもらいたい。
荻野:この(有)平子商店をどんな会社にしていきたいですか?
社長:働いている人が定年まで働けて、最後にここで働けて良かったなと思えるように。あと良い仲間が出来て、自分のライフワークと仕事が両立できるような、毎日が楽しいような、生きがいを感じれるような会社になってほしいと思います。
有限会社 平子商店
〒972-0251 福島県いわき市遠野町入遠野字白鳥132
電話 0246-89-2066